ネーミングは「大衆の感性」で決まる | 日本語好きな人、寄っといで

ネーミングは「大衆の感性」で決まる

 ことばは時代とともに変わります。



新しい語が生まれたり大はやりをしたり、あっという間に消ていったり・・・だが、このようにことばを拾い上げてはやらせたり捨てたりする選択は、誰が、どんな意思によって行っているのでしょうか。
 それは、文芸作家やコピーライターなど、ことばに対し特殊な感覚をもつ「専門家」たちが行うのではなく、日常の暮らしの中でことばの微妙なイメージの存在を実感し、その効用を無意識に活用しながら言語生活を送っている普通の人々の感性の総和が行っているのです。
 したがって、ことばの一種であるネーミングの良し悪しや好き嫌いの評価なども、大衆の誰もが持っている平均的な感性によって決められているのです。

 このことをいま少し具体的に見てみましょう。


 「桜」ということばを聞くと、誰もが暖かい薄紅色の花びらを思い、野山を彩るあで姿を思い、花吹雪の風情などを思いますが、誰もが持つそんなイメージとは別に、天使の吐息をこの語に感じたり、地下に眠る屍(しかばね)を思うなど、その人が独自で感じるものも少なからずあるはずです。
 「大衆の平均的感性」とは、人々がある語に対して感じるイメージから、一般性のない主観的なものを取り去って残ったもののことをいうのです。


 ネーミング作りにとって何より大事なことは、平均的な大衆がそのネーミングをどんなイメージで聞くだろうかという視点を忘れてはならないのです。