音相理論は、なぜ日本語から生まれたのか。 | 日本語好きな人、寄っといで

音相理論は、なぜ日本語から生まれたのか。

音相論は、ことばの音がもつ表情(イメージ)をの数量的な把握に成功した世界初の理論だが、この理論が、なぜ日本語で初めて実現できたのか。

それには次の理由があったように私は思う。


(1)日本語が整然とした体系を持つ言語であったこと。

日本語は文法の活用形などに見られるように、言語構造が体系的で例外的扱いとなるものがほとんどない。


  1. 他言語の影響をほとんど受けていないこと。

日本語は統辞構造(ことばの順序)や文法、音韻など、言語にとって骨格となる基本の部分が外国語の影響を受けていないことだ。

日本語では、漢語やカタカナ外国語が多く使われているが、それらのすべてが「名詞」の役割しか果たしていないといえる。例えば「Beautiful」という形容詞は、付属語として「な、だ、で、に、なら」の活用語尾をつけ形容動詞として受入れている。すなわち、「Beautiful」は形容動詞の語幹だから「名詞」としてしか作用していないのだ。

私が調べたところでは、現用している日常語を単語を単位で分解する

と、80%程度がやまとことば(和語)系の語であることが明らかになる。

日本語は現代でも、やまとことば(和語)の伝統を基本した純度の

高い言語なのだ。


  1. 日本語は音節(拍)数が適当な数であったこと。

日本語は、表情を捉える単位となる音節(拍)が、138と妥当な数であったことがあげられる。

音相理論では、ことばを音相基に分解したあと「拍」(音節)を単位で表情を捉えるが、その数が多くなると拍で表情が捉えることが困難となる。英語の場合でみると、その音節数は学者によって、1.800ぐらい、3.000以上、10.000以上など総数の把握もまちまちだが、数がそれほど多くなると、ヒトの脳のイメージ識別機能が限界を越えて混乱を生じるからだ。

日本語があらゆる音声を138という手頃な数で集約できたところに、ことばのイメージの把握を可能にした1つのな理由があったといえる。