●音相と言霊思想について | 日本語好きな人、寄っといで

●音相と言霊思想について

 ことばは人の念い(おもい)や祈りを時空を越えて伝える働きがあるといわれていた。
それが「言霊」といわれているものだが、そういう思想は仏教とりわけ密教思想と深く関わっているようだが、キリスト教の「太初(はじめ)にlogos(言葉)ありき……」(新約聖書ヨハネ伝)も広く知られたことばだし、宗教的思考を深めてゆくと、おなじようなところに行き着くようである。

 言霊の語がわが国の文献に始めて現れたのは万葉集(760年頃編纂)収載の柿本人麿と山上憶良の歌だったといわれているが、その後江戸中期における国学の中心的な課題ともなった。

 仏教における密教とは顕教に対することばだが、顕教(禅宗、浄土宗、日蓮宗など)が文字やことばを介して教義を説くのに対し、密教(真言宗、天台宗など)は、「真実はことばや論理で理解できるものでなく、背後にある表現不可能なものの力によってのみ体得できるもの」という。
 遣唐使として唐に渡り帰国した空海は、平安時代のはじめ真言宗(真言陀羅尼宗)を開いた。(大同元年…806年)

 この教えは、文字で表現できない深層の世界、実相の世界を究めようとするもので、音声によることばの重要さがとりわけ多く説かれている。
 空海の著作に「声字実相義」(しょうじじっそうぎ、819年)というのがある。
 そこで空海は「ことばはすべての存在の象徴であり、まことのことば、真実言語(真言)は声音や声字で表現できない深層の悟りの世界、実相の世界である」と説き、「声発して虚(むな)しからず、必らず物の名を表するを号して字という。
 名は必らす体を招く。これを実相と名づく」など、ことばと事物の実体は1つのものとする「言事融即説」を説いたものだ。

 声字とは記号的言語ではなく、異次元の宇宙的存在エネルギーとしてのことばを指すもので、事物がもつ実相は音声言語(はなしことば)で代表される声字によって開示されるというものだ。
 これについて宗教学者・鎌田東二氏は次のように述べている。(「記号と言霊」蒼穹社)
 「呪文には意味がない。意味はあってもほとんどの大衆にはわからない。わからないからこそ、有難さがある。それは、ことばの音が作れる陶酔境なのだ。」

 霊力は意味だけで完結できるということば観から言霊思想は生れない。音相理論が求めるものも、この陶酔感と深いところで通じているように思うのだ。