●大衆の感性を知らずに、ネーミングは作れない | 日本語好きな人、寄っといで

●大衆の感性を知らずに、ネーミングは作れない

 若者たちの間で、漢字の読めない人が増えている。
 だが彼らは字が読めず意味がわからなくても、日常の会話などではあまり不便を感じていない。それは彼らがことばの音からその語のイメージを捉える感性を持っているからだ。
 「厳格」(げんかく)ということばの意味を知らなくても、語音から伝わるイメージで「厳しさや威圧感」のようなものを感じたり、「アネモネ」がどんなものかを知らなくても、語音が伝えるイメージでやさしく暖かいものが思い描けるからである。
 そんな感性があるからこそ、「ルイビトン」、「ディオール」、「アルマーニ」、「ティファイー」・・・など人の名でできた意味をもたないブランド名にも、美や快感や西欧風のモダニズムなどを感じることができるのだ。
 昭和の初め頃、「ランデブ-」、「銀ブラ」、「モボ、モガ」などということばが大流行した。これらはみなモダンで明るい意味を持ったことばだが、暗く沈んだイメージを作る有声音ばかりでできている。
そのような矛盾した語が10数年もはやり続けたということは、当時の人がことばの音にいかに無関心だったかがわかるのだ。

 それに比べ、今の流行語はどうだろうか。
 「イケメン」、「おもろい」「チャパる」、「カッコいい」「デパチカ」、「チクる」、「超~」、「メチャ」、「激~」など、日本中でうけている語はみな意味にふさわしい音をもっているし、反対に「ビッグ・エッグ」、「E電」、「DIY(ディ-アイワイ)」、「WOWOW(ワウワウ)」のような、音の響きの悪い語は、発表になったその日から進んで口にする人がいない現代人はこのような優れた感性をもっているから、新しいネーミングに接したときも、音から伝わるイメージと意味(コンセプト)との間の関係性の程度を見ながらその良し悪しを評価する。
 これからのネーミングは、そのような大衆の感性を知らずに作ることはできないのだ。