「美肌」は美しいことばか・・・大衆はこんな見方でネーミングを評価する | 日本語好きな人、寄っといで

「美肌」は美しいことばか・・・大衆はこんな見方でネーミングを評価する

 「美肌」という語は、女性の肌や色香を思わせる美しい意味と文字とを持つことばです。
 だが、そういうことばであるにもかかわらず、この語を商品名に使ってヒットした記録はどこにもないし、テレビなどでこの語を声に出して言っている例も聞きません。
 そのわけは、この語が意味と文字だけの美しさで、現代人にとって大切な「音」にはむしろ醜さを感じるものがあるからです。
 そういえば、一昔前この語のことを「聞いただけで、肌がざらざらになりそうなことば」と言った著名な学者がおりました。
 何時の時代でも、ネーミングにおける意味や文字の働きの大きさに変わりはありません。
 商品の特徴などを意味や文字で伝えられれば、商品イメージは具体的になり、覚えやすくもなるからですが、音響感覚が発達した現代人の眼で見ると、意味や文字がどんなに良くても音が伝えるイメージが悪ければ、ネーミングとしての評価はケタ違いに下がるのです。


 「ビハダ」という音には、なぜ「ざらざら」感があるのでしょうか。

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bihada


 表情解析欄の上位を見ると、「充実感」「暖かさ」「優雅さ」など美しさを作る表情語はありますが、「美肌」の表現に欠かせない「清らかさ、爽やかさ」「新鮮さ」「清潔感」、「明るさ」などがすべてゼロポイント付近であることと、情緒解析欄に美肌と反対のイメージを作る「不透明感」や「あいまい感」などが多く含まれているからです。
 個人々々を総称したことばに「大衆」という語があります。
 大衆とはとりとめない存在のように思えますが、その大衆が平均的にもっている感覚的な価値観は、前記の音相分析で見られたように、きわめて冷静、賢明であることがわかるのです。
 この音相理論を立論するに当たって、イメージの良否を判断する基軸に「大衆の平均的感性」を選んだ理由もここにあったのです。