俳句「花散て また閑(しず)かなり 園城寺(おんじょーじ)」・・・音相分析が捉えた「響き」の真意 | 日本語好きな人、寄っといで

俳句「花散て また閑(しず)かなり 園城寺(おんじょーじ)」・・・音相分析が捉えた「響き」の真意

 上島鬼貫(かみしまおにつら、1661~1738年)の作。

 鬼貫は、芭蕉と並び称された同時代の俳人ですが、生涯門人を持たず、孤高に生きた人といわれています。

ぎよう水の 捨てどころなし 虫の声

おもしろさ 急には見えぬ 薄(すすき)かな

 など、秀句も多いようですが、冒頭句もそういう1つといえましょう。

 桜が散って、再び「歴史」の中へ沈んでゆく古寺の風情を詠んだものですが、古寺に見られる永遠感と、「おんじょうじ」という音が伝える暗く重たい寂寥感とが共鳴して、不思議な感動が伝わってくる句です。

 寺の名がもし建長寺(けんちょうじ)や浅草寺(せんそうじ)であったら、また趣きの違う句になっていたことでしょう。
 それは、寺の名の音に含まれる音相基と、その音相基が作るイメージを捉えて見れば明らかです。

「おんじょーじ」
音相基に有声音、逆接拍、オ音が多い
→ 重々しさ、永遠感のほか、暗さや寂寥感が伝わる
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・( ◎ )
「せんそーじ」
音相基に有声音、逆接拍、母音種が多い
→ 重々しさ、永遠感のほか、人間的な温もり感が伝わる
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・( ○ )
「けんちょーじ」
音相基に無声破裂音系と無声拗音が多い
→ 明るさ、清らかさや透明感が伝わる
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・( × )

 「けんちょーじ」には明るさや透明感を作る無声音が多いため、存在感や重厚感を作る有声音中心の他の2句とは反対方向の句であるため、ここでの比較からは外れます。
 そこで、同じ音相基(有声音、逆接拍)と「重々しさ・永遠感」のイメージを共有している「おんじょーじ」と「せんそーじ」の比較となりますが、「せんそーじ」は母音の種類が多いため人間的な温もり感があるのに対し、「おんじょーじ」は「オ」音が多く、暗さや寂寥感があるため、後者の方が句のこころに近い響きを持った寺の名であることがわかるのです。

 松尾芭蕉は、句論の中で「響き」の大切さを説いていますが、「響き」とは耳ざわりのいい音の流れを言うのでなく、句の「こころ」にふさわしい音を持つ語を選ぶ「才華」のことだと思うのです。

 音相理論を用いると、具体的な根拠を使ってその説明ができるのです。