●「仙台デザイン・ウイーク2006」で所長が講演
今年は、その行事の1つとして市内メディアテークのギャラリーで特別講演会が開催され、当研究所木通所長が「心に響くネーミングの極意…貴方のネーミングは間違っている」の題で、講演を行った。
●「馬鹿」と「あほー」はどう違う?
「「あほー」は「馬鹿」の関西方言で、どちらも愚かさの意味をもった語だが、そこに微妙な違いがあることは誰もが感じていることだろう。
その違いを、音相分析がどこまで捉えているかを調べてみた。
愚かさを表現するには、分析表の「表情語」の、「シンプル(単純A)、にぎやか(E)、軽さ(F)、活性的(D)、庶民的(M)、非活性的(T)」などのあることが大事だが、つぎの分析表で見られるように、どちらの語もこれらの表情語に高点があり、ともに「愚かさ」を示すに相応しいことばであるのがわかる。
だがポイント数の高さによって両語の違いが明らかになる。
表情解析欄の最高ポイント数は「馬鹿」が75.0と高いのに対し、「あほー」はが50.0と低く、複雑度は前者の2に対し、後者は4と高位にある。
最高ポイント数が高く複雑度が低い語は、単純さが表現されるが、おなじ表情語でも、最高ポイント数が低く複雑度の高い語は、深みや複雑さを強調した語になる。
そのため「馬鹿」は単純な愚かさのイメージを作るが、全体の表情を低めに抑えた「あほー」は、奥行きや複雑さを内に含んだ愚かさであることがわかる。またその「奥行き感」が「少拍」と響きあうため「あほー」には「ユーモア感」を作られている。
このようなイメージの違いは、どこから生まれるのか。
それは、強く冷たい響を作る有声破裂音ばかりでできた「ばか」と、どんな音にもアダプトできるニュートラルで大衆的なイメージをもつ「あ」と、軽やかで穏やかなムードを作る無声摩擦音「ほ」との組み合わせの違いによるものだ。
●「ヤバイ」が若者たちにウケるわけ
「ヤバイという語がはやりだして十数年たつが、今も若者ことばの代表格として、いろいろな形でおもしろ可笑しく使われている。
日本語には、身に何か危険を感じたとき、「危ない、怖い、危険、不安、ひやひや、恐ろしい、どきどき、びくびく」などの語が使われるが、これらの音相を分析すると、どれもが20個ある表情語の中の「シンプル(A)」「特殊的(K)」「鋭さ(L)」[庶民的(M)]「非活性的(T)」と、それに「複雑度」の欄に高点がでるが、次表のように、「ヤバイ」もまたこれらのすべてが高点になっているのがわかる。
だが、この表で注目したいのは、若者的な雰囲気を作る「シンプル」「派手」「鋭さ」「個性的」「軽やかさ」「活性的」などが高点にあることだ。
さきに上げた「危険を感じたときのことば」の表情語には、若者向きを表わした語は1つもない。
「ヤバイ」の特徴は「若者的」を表現した唯一の語だといえるのだ。
長年愛用されている「ヤバイ」は、もはや一時の流行語ではなく個有の概念を持った立派な日本語の語彙として、いつまでも使われ続けてゆくことだろう。
類義語の音相を分析して内容を比較すると、このように1つ1つの語が持つイメージの微妙な違いが見えてくるのである。
「麻痺現象」に気をつけよう
あることばに最初に出会ったとき、音の流れにぎこちなさを感じたのに、使いなれてゆくうちにそれが気にならなくなるということがよくあります。
これを私は「ことばの音が持つ麻痺現象」と呼んでいます。
18年前「平成」という元号が発表された日、マスコミは町の人の声をいろいろ報じていましたが、
その内容には「平凡」「感じがよくない」「明るさがない」「夢や意欲を感じない」などがほとんどで、
無条件で「良い」と言った人はほとんどゼロのようでした。
この語を聞いて即座に「ノー」と答えた現代人一般のことば感覚の鋭さに私は深く感じ入り、
当時担当していたある新聞のコラム欄で次のように書きました。
『この語は、穏やかで安定感はあるが、暖かさや親近感がなく、新時代への感動や夢がないことばだ。
その原因を作っているのは、疎外的、排他的なイメージの強い「エ」音を全音(4音)で使っていることと、
調音種にあいまいなイメージを作る「摩擦音」しか使っていないアンバランスにある』と書きました。
ところが、それから3カ月後、同じ新聞社が同じ方法で街頭調査を行ったところ、
今度は全く反対に「感じがよい、明るい、使いやすい」など肯定的な評価ばかりになっていました。
ことばはこのように、始めの第一印象が悪くても、使い馴れてゆくうちに「あまり悪くない」から「良い」にまで変わる傾向があるのです。
この現象は、元号や地名のように日常高い頻度で使われることばほど早い段階で現われるのです。
ことばに「麻痺現象」があるのなら、初めの第一印象など気にすることはないという人もいるでしょうが、
麻痺をするのは表面だけで、初めに直感した第一印象は人びとの潜在意識の奥底で、
いつまでも初めの第一印象がほとんど同じ形で居座り続けるのです。
このことは、平成を冠する社名が東証第一部上場の企業の中に1社もないのを見てもわかります。
とりわけ社名変更などが多かった平成年間に、大切な社名にこの名を使う気になる人がいなかったからなのです。
それは人びとの潜在意識が拒んだものなのです。
「麻痺現象」について思うとき、何の効果も上げていないネーミングが、
麻痺現象のお陰で厳しい批判から免れている多くの例を考えずにはおれません。
かつて、レナウンという会社が「フレッシュ・ライフ」という防臭抗菌ソックスを作りましたが、
商品の優秀さにもっかわらず何時までも売上が伸びなかったため「通勤快足」とネーミングを変えたとたん、
売上が9倍に伸びたということがありました。
「フレッシュ・ライフ」という音は明白な表情をもたない極めて印象不鮮明なことばですが、
「通勤快足」は破裂音や破擦音、それに無声音を多く使って目の覚めるような「若さ、活力感、
新鮮さ、明るさ」の表情をもったことばです。
「フレッシュ・ライフ」は麻痺現象のお陰でとりわけ厳しい批判をうけることもなかったため、
漫然と居座り続けただけのものだったのです。
また、注意しなければならないことのは、「麻痺現象」のおかげで、苦情や批判から免れているものを、
ネーミングが良いから批判がないのだと勘違いする怖さです。
現在使っているネーミングも、正規の音相分析を行って、その語自体がもつ「裸の価値」を見なおしてみることが必要なのです。
【拗音】とはどんな音か
「キャ、キュ、キョ、ニャ、ニュ、ニョ」などの音を拗音という。
拗音は二重子音ともいわれるように、2つの子音を持った拍(音節)である。
古くから使われてきた「やまとことば」(和語)には拗音はほとんどなかったが、
漢語や西欧語の流入とともに多用されるようになったもの。
そのため拗音は、日本語の音韻の中では異国的、近代的な表情を作る。
東京方言には歯切れのよさやモダンさがあるとよく言われるのは、「しちゃう」「いらっしゃる」「いっちゃった」など、
拗音が多く使われているのが原因だといえる。
拗音の中には子音のあとに「j」(一般的には「y」)をつけて表示するものが多く(例…ギャ=gja)、
拗音の音価は直音(g…-B2.0 H1.0)に「j」(ヤ行音…+B0.5 H0.5)を加えたもの(gj=-B1.5 H1.5)が
ギャ行の子音部分の音価となる。
国語学では「シ、チ、ツ、ヂ、ジ、ヅ(ズ)」音は、拗音ではなく直音とされている。
それはこれらの拍が日本語で仮名一字で表記されることと関わりがあるが、
ことばの音を捉える「音相理論」では次の理由で、これらは拗音として扱っている。
「シ」について……… サ行音の音声記号はsa.∫i.su.se. soだが、
「シ」はsi(スイ)に「j」を加えた「sji=∫i(シ)」で発音されているからだ。
このことはサ行音の∫i(シ)がシャ行音(拗音)の∫i(シ)と同じ発音であることからも実証できる。
「チ」「ツ」について……タ行の「チ、ツ」の発音も「ティ(ti)」「トゥ(tu)」とは発音しないから、間に「j」が入った
拗音と見るのが正しい。
このことは、タ行の「チ」とチャ行の「チ」が同じ発音であることからも証明できる。
「ヂ」「ジ」について……ダ行の「ディ」(di)、ザ行の「ズィ」(dzi)の音
は一般では、「ジ、ヂ」(ともにd?i)と発音するから二重子音(拗音)となる。
「ヅ」「ズ」について……「ヅ」(ズ)はダ行の「ドゥ」(du、zu)も「j」の要素を加えたdzu「ズ(ヅ)」であるから拗音となる。
拗音が2音連続すると言いにくさ(難音感)が生れるが、次の語が言いにくく感じるのも、
「シ、チ、ジ、ツ、ズ、」が拗音である証拠といってよいだろう。
・社史(しゃし)・支所(ししょ)・子女(しじょ)・死去(しきょ)・治療(ちりょう)・磁石(じしゃく)・
事業(じぎょう)・事情(じじょう)・頭上(ずじょう)・技術(ぎじゅつ)
ことばにもリズム、メロディー、ハーモニーがある。
ことばにも「リズム、メロディー、ハーモニー」がある。
リズムとは等時的な音の区切りのことをいい、それは、拍(音節)によって作られ、
メロディーは音の明暗と強弱が時間の移ろいの中から生まれるもの。
また、ハーモニー(音の調和…響き合い)は拍を構成する調音点音種(音を出す場所…喉頭音、前舌音、両唇音)、
調音法音種(音を出す方法…破裂音、摩擦音、破擦音、鼻音、流音、接近音)、
および声道音種(声帯を振動させて出す音か否か…有声音、無声音)の3種の調音種に違いによって作られる。
ことばが作るイメージは、これらリズム、メロディー、ハーモニーの中から生まれてくる。
平素われわれは、ことばの音について無頓着だが、発話をするときも書くときも、実際はこれらを無意識に按配しながら使っている。
そこには、作曲家が五線譜に音符を乗せてゆくのと同じような感性の営みがあるのである。
「トヨダ」か「トヨタ」か ・・・所長が、読売新聞紙上で解説・・・
ブランド名を「トヨダ」から「トヨタ」へと改称(1936年)して今年で70年目に当たるが、
読売新聞では9月26日朝刊の「コラム」欄でそれを次のような記事(要旨)で紹介した。
『その年の夏、クルマ専用のマークを公募したところ、濁音のない「トヨタ」が選ばれた。
選んだ理由としては「デザイン的に濁点のないほうがスマート」、
「8画で起がいい」などが上げられたが、その翌年会社名も「トヨタ自動車工業」になった。
ブランドやネーミングの重要性を考えると、トヨダのままだったら今日の隆盛はあっただろうかと興味が沸く。
そこで、企業や商品のネーミングを数多く手がけている木通隆行・音相システム研究所代表に尋ねてみた。
木通さんは「ダ」(有声音)を「タ」(無声音)に代えたことで、「穏やかさ」から「明るさ、モダンさ」へとイメージが変わる。
そのためトヨタの方が軽やかで、機械文明を代表するクルマに相応しいネーミングになっているし、
世界へ打って出ようという意欲もそこに感じられると、70年前の決断を評価している。』
「初秋(しょしゅう)」と「はつあき」 ・ ・・音相分析でわかるイメージの違い・・・
どちらも、秋を感じ始めた季節をいうことば。意味のうえでは同じだが、
日本語を話す人ならこのイメージの微妙な違いを感じることだろう。
その違いを音相分析で音取り出してみた。
これらの分析表を比べると、「情緒解析」欄ではどちらも「曖昧感、情緒的、
ためらい感、穏やか、クラシック感、不透明感、神秘的、哀感、孤高感、寂しさ、大らかさ」をもっていて、
ほとんど同じ情緒を伝えことばであるのがわかるが、表情解析欄を比べると、次のような大きな違いがあるのがわかる。
表情解析欄のトップ部分の表情語を比べると、
「しょしゅう」・・・高級感、安定感、静的、優雅さ…
「はつあき」・・・爽やか、清らか、若さ、溌剌さ、個性的…
で、「しょしゅう」のトップにある高級、優雅な雰囲気をつくる表情語は、「はつあき」ではすべてゼロポイントになっている。
このことからどちらの語も、同じような情緒を持ちながら「しょしゅう」は「高雅」さを中心に、
「はつあき」は「若さや溌剌さ」を中心おく語であることがわかるのだ。