Qネーミングにおける意味の役割は?
ことばが、音中心のる時代に入ったことが痛感される昨今ですが、今後、ネーミングにおける「意味」の役割をどのように考えたらよいのでしょうか。(skc.m)
A ネーミングにおいて意味的配慮が大事であることは、今後においても変わることはないと考えます。
現代では一と昔前と違い、何の意味ももたない西欧のブランド名でも、「音」が良いだけでヒット・ネーミングになれる時代になりましたが、音の良さに「意味」的な良さが加われば、さらに大きな効果があがることは言うまでもありません。しかしながら、意味のある語は商標登録をしても通らな苦なっている現実を思うとき、「意味」の概念は拡大してゆくことになるでしょう。
「セ・リーグ」、「パ・リーグ」の「セ」、「パ」も、「セントラル」「パシフィック」という意味があるから、「Aリーグ」、「Bリーグ」のように記号で言うよりはるかに大きい効果がありますし、そんな僅かなものでも意味の要素が加わることで人間的な温もり感が生まれます。
ネーミングにそういうものを求める大衆の感性は、永遠的なものといえましょう。
JRの乗車券「スイカ」の「カ」から「カード」が連想させ、「ペプシコーラ」の「ペプ」で炭酸飲料が咽喉もとをすぎる感触を伝えるなど、「意味的表現法」の研究はさらに進んでゆことと思います。
●音相と言霊思想について
ことばは人の念い(おもい)や祈りを時空を越えて伝える働きがあるといわれていた。
それが「言霊」といわれているものだが、そういう思想は仏教とりわけ密教思想と深く関わっているようだが、キリスト教の「太初(はじめ)にlogos(言葉)ありき……」(新約聖書ヨハネ伝)も広く知られたことばだし、宗教的思考を深めてゆくと、おなじようなところに行き着くようである。
言霊の語がわが国の文献に始めて現れたのは万葉集(760年頃編纂)収載の柿本人麿と山上憶良の歌だったといわれているが、その後江戸中期における国学の中心的な課題ともなった。
仏教における密教とは顕教に対することばだが、顕教(禅宗、浄土宗、日蓮宗など)が文字やことばを介して教義を説くのに対し、密教(真言宗、天台宗など)は、「真実はことばや論理で理解できるものでなく、背後にある表現不可能なものの力によってのみ体得できるもの」という。遣唐使として唐に渡り帰国した空海は、平安時代のはじめ真言宗(真言陀羅尼宗)を開いた。(大同元年…806年)
この教えは、文字で表現できない深層の世界、実相の世界を究めようとするもので、音声によることばの重要さがとりわけ多く説かれている。
空海の著作に「声字実相義」(しょうじじっそうぎ、819年)というのがある。
そこで空海は「ことばはすべての存在の象徴であり、まことのことば、真実言語(真言)は声音や声字で表現できない深層の悟りの世界、実相の世界である」と説き、「声発して虚(むな)しからず、必らず物の名を表するを号して字という。
名は必らす体を招く。これを実相と名づく」など、ことばと事物の実体は1つのものとする「言事融即説」を説いたものだ。
声字とは記号的言語ではなく、異次元の宇宙的存在エネルギーとしてのことばを指すもので、事物がもつ実相は音声言語(はなしことば)で代表される声字によって開示されるというものだ。
これについて宗教学者・鎌田東二氏は次のように述べている。(「記号と言霊」蒼穹社)
「呪文には意味がない。意味はあってもほとんどの大衆にはわからない。わからないからこそ、有難さがある。それは、ことばの音が作れる陶酔境なのだ。」
霊力は意味だけで完結できるということば観から言霊思想は生れない。音相理論が求めるものも、この陶酔感と深いところで通じているように思うのだ。
音相理論が捉えた世界
ことばは意味を伝えるだけでなくイメージを伝える働きをするが、語がもつ意味と、音が伝えるイメージが同じ方向(ベクトル)を向いたとき、その語が伝えるイメージはさらに具体的で厚みのあるものになる。
だが、言語学では、語音が作るイメージは「意味論」の中で論じられ、意味の一部とされている。
そういう長い歴史から、文章の鑑賞も意味が中心で行なわれ、音が作るイメージ的な鑑賞はほとんどされないままで終わっている。
西欧の言語学に「音象徴」の理論があるが抽象論で終始していて現実のことばのイメージ把握には役立たないし、わが国に古くからある音義説は客観的配慮のないままで終わっている。
だが大衆の音響感覚が高度に発達したのにともなって、ことばが伝えるイメージは、意味とは異なる機能をもち、重要な役割を言語生活ではたしていることがわかってきた。
音相理論は、語音が伝えるイメージを数量的に把握する技術だが、この理論がはじめて開発した主な分野として次のものが上げられる。
1.言語学の「意味論」でいう「ことばの象徴」(イメージ、表情)を、実証的に整理し、その体系化を行なったこと。
2.イメージ(表情)を捉える方法として、語音の構造と表情の実態を明らかにし、それらの関係性を捉える手法を開発したこと。
3.学問の対象外におかれている「大衆」の実態を分析し、「大衆」がもつ「平均的感性」をイメージ評価の基本に置いたこと。
4.イメージを客観的に捉える手法として、「現用されている和語」に着目し、それを主な調査対象語に選んだこと。
5.語が持つイメージ(表情)を、+輝性(+B)、-輝性(-B)、および勁性(H)の3要素で捉えたこと。
6.すべての「表情」を20種の概念語に集約したこと。
7. 順接拍、逆接拍、無声化母音、調音種比など、表情を作る音相基の存在を発見し40種の甲類表情を捉えたこと。
8.甲類表情より客観価値の高い乙類表情(38種)を取出したこと。
9.「情緒」を、複数の表情語の照応から生まれるものとの理解に立ち、90種以上の情緒語を捉えたこと。
10.ことばの表情把握に必要な10種類の「特性検出項目」を定めたこと。
11.音価(BH値)計算の基本となる標準値を設定したこと。
12.難音語、ラ抜きことば、他援効果などに関する実態分析とその法則化をはかったこと。
必然的に生まれたことば「激○○] ・・・研究員のレポートから
これは「大辛」よりも辛いことを意味するが、若者の会話の中では「激ウマ」「激ヤバ(非常にヤバイ)」「激ボケ]「激アマ」など、物ごとを強めるときの形容詞として広く使われている。
「激」という語の音相を分析すると、この語は「強さ、明るさ、個性的」という表情特性をもっているため、意味と音が作るイメージとが絶妙にマッチしていて、音相的に優れたことばであることがわかる。
そのようなことばに、「超」「ソク」「メチャ」などがあるが、これらを分析するとやはり活力と明るさと軽さなど、若者が好む表情語を持っている。
いずれも多少奇を衒(てら)う気分を含んだことばだが、音楽的に高い感性を持つ若者たちがありきたりのことばに飽きたとき、どんなところにもピッタリはまる、何とも見事なことばである。
(研究員・けいた)
●流行語大賞「イナバウアー」のイメージを分析する
今年の流行語大賞に、オリンピックのフィギュアスケートで荒川静香が演じた「イナバウアー」が大賞を獲得した。
イナバウアーは1950年代に活躍した旧西ドイツのイナ・バウアーが開発したものだが、その演技が持つ雰囲気をこの語がどの程度表現しているかを音相分析で捉えてみた。
氷上で舞う華麗な演技の名前には <スポーティー + 高級、優雅感> のイメージがなければならないが、この語がそれをどの程度捉えているかがポイントとなる。
表を見ると、スポーティーなイメージに必要な濃い青の棒、D(動的、活性的)、E(派手さ、賑やかさ)、A(シンプル、明白)、F(軽やか、軽快感) と、高級、優雅感の表現に欲しいT(静的、非活性的)、P(暖かさ、安らぎ感)、Q(安定感、信頼感)、O(清潔感、健康感)、S(高尚さ、優雅さ)が共に高位で交じり合っているのがわかる。
前項の「感激・感動」の例とともに、音相分析法がことばの深層にある機微の部分をきわめて正確に捉えているかがわかるのだ。
3色の青い棒グラフ(表情解析欄)の読み方・・・「感激」と「感動」の違いを見るい
表情解析欄にある青い棒グラフ、「濃い青」、「薄い青」、「中間の青」の色分けは、次の違いを示すもので、これを一見するだけで語のイメージの方向性を捉えるために設けたもの。
濃い青・・・「活力感、若さ、シンプル感、現代感」など、明るさや活性感などプラス方向を向く表情。 淡い青・・・「高級、優雅、落ち着き、安定感」など、静的で非活性的なマイナス方向の表情。 中間色・・・プラス、マイナスのどちらの語にも見られる表情。
「感激」と「感動」の違いを見る。
これらの意味の違いを国語辞典では次のように示している。
感激・・・心に感じてふるい立つこと。
感動・・・深く感じ入ること。
すなわち、「感激」が「ふるい立つ」という衝動的な刺激を意味するのに対し、「感動」は「感じ入る」という内面的な刺戟であることを意味している。
意味の上でのこの違いを、音相分析表がどの程度捉えているかを調べてみた。
表情解析欄を見ると、「感激」は「濃い青」(若さや感情の高まりを示す)が上位を占め「淡い青」(情緒やマイナス指向を示す)は低位にあるが、「感動」はそれと反対に「高級、優雅」など情緒を作るマイナス指向語が主流となっている。
以上から、「感激」はスポーツなどに見られるような瞬発的な興奮をイメージした語、「感動」は芸術作品を鑑賞したときのような内面的刺戟をイメージした語であることを音相的にも表現されているのがわかるのだ。
Q 音相理論は「やまとことば」の分析から生まれたもののようですが、漢語やカタカナ語が多く入ってい
A 音相論に取り組み始めて最初に悩んだことは、どうしたら個人の好みや主観を入れずに人々が同じように持っている感性を客観的に捉えられるかということでした。
その方法として、初めに世論調査を考えましたが、「ことば」の実態を世論調査で捉えるには、全国を対象に地域別、人口別、年齢別、性別など種々の層化を行なって調査しなければなりませんが、それは事実上不可能に近い作業です。
私は現代語の中で使われているやまとことば(和語)の存在に気づきました。
和語は文字のない時代からこの国で使われてきたことばですが、いまわれわれが使っている日常語でも単語を単位に分析すると、その80%前後が和語系のことばであることがわかります。
そのような和語は、太古以来、何百億もの人の音相評価をパスして生き残っていることばですから、これほど日本人の感性を正しく捉えたものはないと考えたからでした。
Q 「分析表と評価の実例」欄を見ると、日ごろ気づかなかったことばの機微を音相分析がよく捉えている
A ことばが作るイメージには、言語学や音声学などで解明できる理論の部分と、感性的な判断にゆだねなければな
らない非科学的な部分があります。
音相理論では、これまで不可能とされていた感性分野の数量的な把握が可能になり、それによるコンピューター化も
実現できるまでになりました。
しかしながら、「ことばを作る」という行為は、人間的な経験や感情が下地にあってはじめて実現できるもので、コンピュ
ーターがどんなに発達しても、「創造」という行為は人間しかできない仕事といってよいようです。
それは、「ことば」が単なる記号でないことの証しといってもよいでしょう。
商品名も、文化を担うことばになれる
ある小説に次のような一文が載っていた。
「冴子は、シャネルの淡い香を残して帰っていった。・・・」
香水の知識など何もない私だが、このことばから、冴子という人になよやかで上品な女性のイメージが生まれてくる。それは「シャネル」という音相から得られるもので、具体的には無声摩擦音の拗音「シャ」と、「ネ」(鼻音・・・有声音)、「ル」(流音・・・有声音)という音の響き合いが作ったイメージだ。
この香水の名を「コティ-」に変えたらどうだろうか。コティーだと無声破裂音「コ」と「ティ」でできているため、「怜悧でやや冷たい感じ」の人になる。
このようにその人が持つブランド名を変えるだけで、人のイメージも変わってくる。
小説などに出てくるブランド名や小道具などには、そういう配慮のあるものが多いが、日常の会話に彩りをそえている商品名や、何となく口に出してみたくなるブランド名などは、商品名、ブランド名の次元を超えた、「ことば文化に昇華したことば」といってよいだろう。
ネーミングは、そういうことを目標に作ってゆきたいものである。
新語や流行語はどんなときに生まれるのか
新語や流行語は、いま使っていることばに対し違和感や不自由を感じたときに生まれるものだが、新しい語とこれまで使ってきた語の音相を比べると、新しい語は古い語に比べ常に明るさや暗さ(+Bまたは-B値)や強さ(H値)が高ポイントであることを発見する。
在来語 新しい語
・ すごく → メッチャ
-B2.1 H3.0 → +B2.2 H4.0
・ すぐ → ソク(即)
-B3.7 H1.7 → +B0.7 H2.0
・ のろい → にぶい → とろい
+B0.0 H1.8 → -B1.2 H3.2 → +B1.4 H3.3
また最近使われている「いかつく」は「怒る」と「むかつく」の合成語だが、
・ 怒る → むかつく → いかつく
+B1.7 H3.1 +B4.3 H4.8 +B5.3 H5.8
で、やはり「いかつく」のインパクトが一番強い。
このように、日本語はいつの時代も穏やかでやさしい音から、表情豊かで強い響きの音に変わってきた。
音相を分析しながら、このようなことばの移ろいぶりを見て行くと、生き物としての「ことば」の生態がはっきり見えてきて面白い。