日本語好きな人、寄っといで -29ページ目

『クユラ』 (ボディーソープ)

 洗うだけでなく、スキンケアもするボデー・ソープ。

心やすらぐ香り・心華やぐ香り」をねらったという商品です。


 表情解析欄を見ると、

「静的・信頼感・暖かさ・優雅さ・高級感」などを高点で捉え、

奥の深さ(複雑さ)と心の安らぎを明白にとらえたことばであることがわかります。
 コンセプトバリュー欄ではそれを「男女とも中、高年齢者に好感の持たれる音」と捉え、情緒解析欄では「情緒的、神秘的、クラシック感」ということばで捉えています。
 だがいまひとつの訴求点である「華やぎ感」の表現がどこにもないのが気になります。

 ことばに華やぎ感を作るには「明るさ、賑やかさ、溌剌感・活性感」などの表情語が相当高点をもっていなければなりませんが、それらの項がいずれもゼロ・ポイントになっていることです。

美しいクラシックな音の響きをもってはいるが、華やいださざめきが聞こえてこない、いま一歩を感じるネーミングです。(木通)

Q&A ・1 ネガティブなことばの表現

Q. 音相分析の表情語には「つらい、苦しい、汚い、悲しいなど、ネガティブなことばが入っていないのはなぜですか。

A. ことばには、必ずといってよいほどポジティブな意味とネガティブな意味がありますが、ある語をネガティブな立場で眺めると、その語が本来持っている飾り気のない素顔が見えなくなることが多いのです。

 例えば人の名前を分析したとき、分析表の表情語に「暗い」という語がはいっていたら、本人は「暗い」ということばのショックに引きずられて、素直な見方ができなくなることが多いのです。

 そのため、音相分析ではポジティブなことばで表現し、ネガティブな表現は状況により評者の判断にお任せする方法をとっているのです。(木通)

Q&A ・2 音相分析表の見方

Q. 音相分析表にはときどき、無関係と思える表情語が高点で出ていたり、当然必要と思える表情語がゼロポイントになっているのを見ることがありますが、どんな事情によるものですか。

A. 現在使われていることばが、すべて音相的に優れたものばかりとは限りません。中には意味的なものだけを考え、音のことを無視して作られたことばや、複雑な表情を音相が十分表現できていないことばも数多くあるのです。いや、そういう語が3分の1くらいはあると考えてもよいでしょう。


 そのためどう見ても異物と思えるものや、把握不十分と思えるものに出会ったときは、思い切ってそれらを無視する判断力が大事な技術の1つとなります。
 また、表情語欄では捉えていないが、他の欄で捉えている語も大変多いので、すべての欄を幅ひろく読み、せっかくコンピューターがとり出した情報を見落とすことなく捉える訓練が必要です。(木通)

ハイレベルなクルマのネーミング

高い意識でネーミングを制作している業界の1つに、クルマ業界があるように思います。それは「音」という困難なテーマの古くから意図的に工夫がされているからです。それは、クルマのネーミングに「rやlと長音」が極めて効果的に使われてきたことがあげられます。その結果、人々は名前をきくだけで、「クルマ」のイメージが自然に潜在意識の中に浮かんでくるからです。

動く!走る!ネーミング表現

 「r、l」の音には物事が動くさま、回転するイメージがあることに気付いた
のは、紀元前4世紀に有名な「万物は流転す」のことばを残したギリシャの哲学者、ヘーラクレートスでした。RやLの音は、今でも世界の主要言語で「回転、移動」の意味を持つ単語に多く使われていますし、言語体系が全く異なる日本語でも「くるくる、ぐるぐる、ころころ、ごろごろ、ぶらぶら、ぶるぶる、歩く,動揺、競争、旅行、流行・・・など、数え上げればきりがありません。

 また、RやLと並んで、車の名には長音「―」が多くつかわれます。
長音はその前の母音を連続させる音ですから、当然時間的なの継続感を作ります。
これらを多くつかったなまえとして、外車には「シボレー、ロールスロイス、ダイムラークライスラー、メルセデスベンツ、キャディラック、ポルシェ・・・、があり、国産車でも「カローラ、スバル、トヨタスープラ、レガシー、アルファード,サニー、ミラ、パジェロ、キャロル・・・」などがあるのがわかります (木通)

前株か、後株か?

××株式会社にするか、それとも株式会社××とするかの判断には、(これを前株、後株という)
難音感が生じるか生じないかに関わるため、音相分析によってはじめて正しい判断ができる。

 例えば「大久保」を前株か、後株かとした場合、「株式会社大久保」にすれば難音感を感じない。

前株か後株かの判断は、一般では感覚だけで決められるが、音相論を用いれば明白な根拠をもとに

その正否が明らかとなることでしょう。(木通)

美しい日本語とは

「美しい日本語」とは何かを明らかにしたものはなく
この語は極めて観念的なものにすぎないが、あえてそれを明らかにしないと、
この課題ととりくむことはできない。

 そこではじめに、私の主観をもとに「美しい日本語」についてその枠作りを
してみたいと思っている。「美しい日本語」を捉えるには、「美しくない日本語」を知ることによって

明らかになるように思われる。


私の経験から「美しくない日本語」として次のものが上げられるように思われる。

 1.言い憎い言葉。
 2.音響的に無駄がある言葉。
 3.言葉の音響が意味的内容(コンセプト)を適切に表現していない言葉。

 すなわち、美しい言葉について論ずるにあたっては、これまでほとんど不問に付されてきた「語音」の面からの取組みがない限り「美しい言葉」の実体を捉えることは不可能のように思うのである。
 美しい言葉についての議論はこれまで多くの人によっておこなわれてきたが、常に不問に付されてきたのが「語音」との関係からみた評価ではなかったかと思われる。
 だが、大衆の音響感覚が高度に発達した現代において、音との関係を無視し
て言葉の評価は成り立たない。

現代語について、ラ抜き言葉や鼻濁音の消滅現象が種々言われているが、現代語において「食べられる」を「食べれる」となるのは、難音感を救済するうえで必要な措置であるし、また1音でも省略しようとする日本語の音用慣習から生れた必然のものなのである。1および2からの救済策として必要なものであったのである。
 また、鼻濁音の消滅現象は、日本語の 性化(最近の音用慣習である語音を強める傾向)がもたらした必然のものだといえるのである。(木通)

「音象」という名の、傍説について

 最近、当社の登録商標である「音相」とよく似た「音象」ということばが、ホーム ページなどで時々見られるようになり、50年間ことばの音のイメージ研究を行なってきた当研究所では非常な迷惑を蒙っています。

「音象」という語の起こりは、昨年「怪獣の名はなぜガギグゲゴなのか」(黒川伊保子著、新潮新書)が発行され、テレビで著者の派手なパフォーマンスがあったのがはじまりでした。 

 この書の著者は、当研究所に3年ほどの間、時たま出入りしていましたが、深い研究 などをすることもなく、ことばが作るイメージを、アイウエオなどの単音単位で取り 上げて、それに当所が育てた果実の一部を加え、自分流の主観を入れたうえ、これは 「人の潜在脳の機能を説いたものだから文句なしに信じなさい」という内容のもの。 そのように説く以上、筆者として当然触れねばならない潜在脳とイメージの具体的な 関係性などの説明は、その後も全くないのです。複雑この上ない「ことばのイメージ」が、そんな安易なスプーンで掬い上げられるはずがないのです。
 これらについてはすでに、評論家宮崎哲弥氏の書評(「諸君」04年10月号)や作 家山本弘氏のウエブの掲示板に酷しい批評があり、後藤和智事務所のHP[若者報道と社会]では、後藤氏がそれらをまとめて見事に論駁しておられます。

心ある方にご 一読をいただければと、《リンク》 をさせていただきました。
後藤氏が指摘しておられるように、
「音象」は何の知識も持たない素人に「潜在脳」などというわけのわからぬ呪文をかけて目晦まししているだけのものなのです。 そのうえ、当研究所を訪ねるまで殆ど何も知らなかった「ことばにおけるイメージの存在」やその構造などの教えを直接うけた私を前に、と同書の中で、「このような、 ことばの音のイメージ研究を行なった人は、これまで世界中どこにもいなかった。こ れは私が始めて行なった世界初の研究だ」など広言する。学術的にも、道義的にもあ きれた行為というほかありません。

単音だけでイメージが捉えられるのは限られたごく一部の音にすぎませんし、ことばがその奥深くに持っているイメージは、単音を成り立たせている調音種や音相基の重なり合いから生まれる表情や、いくつかの表情の響きあいが作る「情緒」などを総合することによりはじめて得られるものなのです。(木通)

おりとりて はらりとおもき すすきかな (飯田蛇笏)

桜と違い、季節外れな話題ですが、ふと気づいたことを、忘れぬうちにと書き留めてみました。


 この句は改めて紹介するまでもない俳人飯田蛇笏の代表作ですが、
「すすきの穂を折り取ったら、なよなよとして軽るそうな穂先に以外な重さを感じた」
という意味です。


 軽いものに用いる擬態語「はらり」という語の後に「おもき」を持ってきて「はらりとおもい」という絶妙な造語に、作者の意外な驚きぶりを見ることができるのです。
 擬態語が発達した日本語ならではの表現法ですが、作者が感動したのは、そのことからものの命の意外な重さを知った驚きだったといってもよいでしょう。
 また私がこの句に対し感動したのは、そうした句の心をこの語の音相が見事なベールで包んでいることです。
 分析表の表情欄では、『暖か、鋭さ、充実感、特殊性、静的、清潔感、優雅さ』などを捉えながらそれらを露わに出すことをせず、低いポイント数に抑ていることです。そのような抑制の深さが、複雑度『5』(非常に複雑)を作り、情緒解析欄の『孤高感、クラシック、流動感』となってさらなる深みを作っていることです。

 ことばの音が、意味の深さに重みを添えて伝えてくる…人々に感動を与える名句には、そういう実体が存在するのを私はいつも見るのです。(木通)

音相へのご招待

私がことばの意味と表情の関係を考え始めたのは、ラジオの放送台本を書く仕事をしていた昭和二十六年頃のことでした


 「桃色」と「ピンク」は意味は同じとみてよいですが、「ももいろ」という音には穏やかで落ち着いた表情があり、「ピンク」には輝くような明るさがあります。だから、赤ちゃんの頬は「ももいろ」よりも「ピンク」の方がその実感がよく伝わるし、老婆の頬は「ももいろ」の方がより印象的に伝わってゆくのです。
 このような表情はことばの「音」から生まれるものなので、私はそれを「音相」という名で呼ぶことにしています。
 音相は、同じ言語を使う人たちが同じように感じる感性といってよいでしょう。


音相理論は、ことばが作るの表情と音の仕組みの関係を音声学や統計学の手法を借りて明らかにしたもので、ことばの科学がこれまで見棄てていた「感性」の部分を、新たな認識のもと再構築した理論です。


 「表情」という面からことばを見ると、これまで気づかなかったものがいろいろ見えてきます。
 例えば文学作品の題名や、使われている語彙や登場人物名などが、イメージ的に寄与している心理的、美的な関係などが捉えられますし、商品名を分析すると、その商品がどんなイメ―ジで客層に受け入れられているかがわかるなど、これまで論議の外におかれていた情緒や雰囲気などの実体が、客観的な尺度を使って解明できるようになるのです。


 音相論は言語としての自立度が高く精緻な構造をもつ日本語にして初めて可能になった理論ですが、それはまた日本語美の奥を捉える新たな手法といってよいようです。
 ここは、ささやかなサイトですが、日本語美を求める方々とともに、暖かく楽しい語らいの広場にしてみたいと思っています。
 皆さんのご協力をいただければこの上ない喜びです
。(木通)

 

「アイ」と「アイちゃん」

 卓球の福原愛ちゃんとゴルフの宮里藍ちゃん… ・スポーツ界は 「アイちゃん」 ブームでわいています。
 彼女たちは 「アイ」 または 「アイちゃん」 と呼ばれていますが、「アイ」 と 「アイちゃん」 から

伝わるイメージにはどんな違いがあるのか、音相分析で捉えてみました。


 名前の音を分析すると、どちらにも 「庶民的でシンプルな中に動的、個性的で活力感」 という表情語が高点にあり、スポーツウーマンにピタリの雰囲気をもった名前であることがわかります。
 またそれに加えて 、「アイ」 には 「鋭さや合理性」 が、「アイちゃん」 には 「若さ、派手さ、健康感」 が強調されていて、微妙なイメージの違いも見られます。


 また 「アイ」 には 「人肌の温もり感」 や 「ふっくらした感じ」があるのに対し、「アイちゃん」 には男女を問わず若者に可愛がられる名であることを示しています。(木通)